kiss me 7
シンは、息を飲んだ。
助けるって、言った。思った。
何をしてでも、この人を助けたいと、本当に、本気で、絶対に。
でも。
それでも。
わずかに微笑んで、シンの腕に身を任せている人。
この人、を。
殺す？
濡れた髪から、ぽたりとシンの手に冷たい雫が落ちた。
つないだ指に、わずかな力がこもっている。
体はひどく冷たいけれど、少し震えて。
甘やかな気配を、緩く放って。
この、命を。
消す？
「ご、めんなさい！」
声は、喉に引っかかって、枯れてかすれて、ひどく割れていた。
助けたいのに、幸せにしたいのに。この人を、もう二度と、あんなふうに泣かせたくないのに。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。俺、できな・・・」
ぎゅう、と。アスランを抱きしめて。
こんな大事なもの、他にないのに。
なのに、なんで。
「あなたを楽にしてあげたいのに、あなたを、助けたいのに。俺、あなたに、死んで欲しくない。
生きてて、欲しい・・・」
少年の涙が、ぼんやりと見上げたアスランの頬に落ちる。
ああ、そうか。
やっぱり。
「ごめん、シン」
やっぱり、まだ、ダメ。
「そうだよな、まだ、俺は・・・償ってないから。何もして、ないから」
そう、まだ。
楽になる権利は、ない。
今、目の前にどんな幸福があっても。
それを味わうことは許されない。
「まだ、死ねないんだ」
絶望には慣れている。
それでも、辛いと思うのが不思議だった。
握っていた手を、引き裂かれるような思いで、離す。
それでもシンはその手を握ってくれていて。
もう片方の手が、するりとアスランの頬を包んだ。
何度か、軽く撫でてから。
触れた、唇。
それだけで離すと、アスランは初めてキスをしたときのような、呆けたような瞳をしてシンを見上げていた。
なんでこんな顔をするのか、今のシンにはわかる。
アスランは、知らないから。
憶えて、ないから。
こんなふうに、大事にされること。
あいされる、こと。
「違います・・・、そうじゃ、ない」
どうしても、言葉の通じないこの人に、どうやって伝えたらいいんだろう。
「俺が、生きてて欲しいんです。生きて、側にいて欲しいんです」
体に、触れて。
唇に、触れる。
言葉でわかってもらえないなら、それで。
わかって。
「不思議、だな」
離れた唇が、本当に小さく呟いた。
「今度は、ちゃんと、気持ちいい・・・」
シンを見上げる翠の瞳。
なんで、こんなに切ないんだろう。
「もっと、してあげますよ」
だから、死なないで。
今度のキスは、胸元に落ちた。
アスランは、うっとりと、目を閉じた。
「やっ・・・待っ・・・シン、おかしっ・・・なる・・・・」
体中にキスを受けて、触れてもらって。
体の中から、気持ちよくしてもらって。
「おかしくなっちゃってくださいよ」
やっと温まってきた肌に、更に熱い体を重ねる。
繋がった場所はもうすっかり熱くなって、シンの熱も違和感がない。
溶け合って、気持ちいい。
「やっ・・・・だめ・・・・」
「何が、ダメ？」
もっと気持ちよくしてあげなくちゃと、ひくひく震える体の中を、もっと深くまで愛してやる。
上がった甘い声ごと、抱きしめて。
体の外も中も。触れるところはぜんぶ触って、キスできるところぜんぶにキスして。
教えて、あげなくちゃ。
俺が、どんなにあなたを好きか。
どんなに大事か。
どんなに、あいしてるか。
「やっ、あっ、あんっ、あんっ」
「アスランさん、可愛い・・・女の子みたい・・・・」
大きくかぶりを振って、藍色の髪がはらはらと乱れて。
その間から覗いた、翠の瞳が、あんまりきれいな涙をこぼすから。
「ね、アスランさん。大好き」
囁いて、激しくして。
いっぱい泣かせて。
その奥の、暗い淵ごと、そのきれいな涙でいっぱいにしてしまえばいい。
体中に、触れる指、
触れる、唇。
おかしくなると、本気で思った。
おかしくなりたいと、本気で、思った。
体の、内まで。
激しく、愛撫されて。
このまま、これしか知らない生き物になりたい。
「シン、シンっ・・・」
「アスラン、さん・・・・」
呼べば、答えてくれる声。
応えてくれる、体。
「っ、あ・・・・ン」
しがみ付いた体のぬくもり。
触れる唇の熱さ。
冷え切っていた体が、指先まで、熱くなって。
これさえあれば、まだ、生きていける。
まだ、戦える。
まだ、償える。
大丈夫。
・・・・・まだ。
「えっと、あの、あんなマネして、すみませんでした」
ベッドに身を投げ出したままのアスランは、ぽうっとシンを見上げた後、酷く、幼い仕草で首を傾げた。
「・・・・ああ、そうだ。どうして・・・・・・・」
応えた声も、どこか亡羊としている。
「どうして、お前は許してくれたんだ？」
どうして、この人はこうなんだ。
かみ合わない会話に、心に、シンは悲しくなる。
「俺、あなたの、あなたたちのこと、良く知りもしないで。勝手に思い込んで、勝手に傷つけて」
知らなかった、は、言い訳になるだろうか。
ならない、だろう。
「シンが怒るのは、当然なんだ。その怒りも憎しみも、全部負うと、俺たちは決めているから」
そんなものを、負う気も無しに、戦っていた自分をひどく恥じる。
この人のこころを、理解しようともしないで、勝手に怒った自分を恥じる。
「あなたは・・・俺を、許してくれますか？」
「・・・・・」
黙ってしまったアスランに、シンは焦った。
許してもらえないかも知れない。
考えてみれば当たり前だ、あんなに酷いことして。
傷つけて追い込んで。
しかし、アスランの答えは相変わらず。
「お前、俺に何かしたか？」
ああもう、だからなんでこの人は。
「・・・・無理やり、犯りました」
「ああ、でもあれは、仕方がないだろう。俺が悪かったんだから」
すまなかったと、この後及んで謝る彼に、シンはもどうしていいかわからない。
「で、も。大事だったんでしょう？あいつのこと」
「うん。・・・ああ、そうか。お前、キラと」
ぽうっとシンを見上げる瞳。
まるで、子供のような。
キラに聞いた、小さな「アスラン」のような。
「はい。あの、話、して。アスランさん、子供の頃のこと、憶えてないって、聞いて」
それを聞いて、アスランはわずかに眉を寄せた。
子供の顔が、消える。
「・・・全部、憶えていないわけじゃないんだ。キラといたときのこと以外は、みんな憶えているから」
でも、ずっと一緒にいたんだと、キラは言っていなかっただろうか。
「それに、キラのことだって」
どこか必死な声が、何かに縋るように。
「子供の頃は、キラと一緒で。ずっと一緒で。そういうのは、わかるんだ。夜、寝ようとして、明日、キラに宿題やったか聞かなきゃって思ったこととか、母さんに出張の土産もらって、キラのところにも持っていかなきゃって思ったこととか、そういうことは、全部憶えているんだ」
それは、余計に辛いんじゃないだろうか。
大事にしていたことは、おぼろげにも憶えていて。
大事にされたことは、全部忘れていて。
「写真だってたくさん残っていたし、キラにやったマイクロユニットの設計図も、メールの記録も、大事に取ってあったし・・・みんな、戦争でなくなってしまったけど」
だから、全部壊したわけじゃないんだ、と。足掻くような声が、辛く、シンの胸に落ちた。
「ねえ、アスランさん。俺には、何もできませんか？」
さっき、上手く伝えられなかった言葉を、もう一度、言ってみる。
伝わるといい。
伝わらないと、辛い。
「俺じゃ、あなたを助けられませんか？」
投げ出された手を取って。
その指先に、ひとつひとつ、キスをして。
今度は、ちゃんと伝わっただろうか。
震える指先まで、こんなに愛しいってこと、ちゃんと、わかってもらえるだろうか。
触れるごとに、力を失っていく指。
シンのものになっていく感覚。
シンのものになってしまいたい、感覚。
でも。だけど。
「うん・・・でも、俺はまた、きっと壊してしまうから」
また、失う。
その恐怖。
「お前を忘れたら、俺はもう、生きていけないよ」
シンは、弾かれたように白い指から顔を上げた。
どこか蕩けたままの、しかし暗い淵を隠さない翠の瞳が、ゆっくりと、細められる。
この人は、今、自分がどんな告白をしたのか、わかっているのだろうか。
わかって、いないだろうけれど。
その言葉のためだけに、自分のすべてを差し出してもいいと、シンは本気でそう思った。
自覚のないままの告白が、胸を熱くする。
伝わるのも、伝わらないのも関係ない。
ただ。
ただ、この人にできることを。
俺が。
「あなたが壊したら、また、俺があげますから」
なくしても、また。
「そうしたら、なくなりませんよね」
わずかに開いた唇に、そっと、口付けて。
「あなたが欲しいだけ、ずっと、一生・・・俺が、あげます」
そう、約束することは、もしかしたら罪なのかも知れないけれど。
ＭＳに乗るシンは、いつ、いなくなるかわからないけれど。
それでも今は、こう言うことが必要だから。
この約束で、死ねないと、シン自身も思うから。
生きる、のは。
苦しいけれど。
辛い、けれど。
なくしてしまうのは、怖いけれど。
俺はまたきっと、なくして、壊してしまうんだろうけれど。
「アスランさん」
それを、埋めてくれると。
代わりを、くれると。言うのなら。
お前が、そう、言うのなら。
俺の、最後の大切なもの。
これをくれた、お前がそう言うのなら。
アスランは、おずおずとシンの背中に腕をまわした。
あたたかい、背中。
「アスランさん？」
呼ばれて、見上げた赤い瞳。
すぐにそれが笑んで、優しいキスが下りてきた。
触れるぬくもり、甘い触感。
壊しても、なくしてもまた。
ずっと、こうしてくれるなら。
「俺は・・・きっと、また忘れるぞ」
お前さえ。
「そうしたら、またあげますから大丈夫です」
「・・・そうか」
アスランの指が、シンの頬に触れた。
ふっと甘い香りがして、柔かい唇が押し当てられる。
初めての、アスランからのキス。
「うん」
シンからも、キス。
言葉じゃなくて。
ぬくもりで。
「うん、アスランさん」
触れ合う、唇で。
「シ、ン・・・・」
伝わるから。
わかったから。
だから。
ずっと。
「うん・・・」
kiss me・・・・
終